
勤務医が「開業しない」と決めたとき、 考えるべきお金のこと
医師のキャリアにおいて、「開業」は長らく成功の象徴として語られてきました。「いつかは自分のクリニックを」という言葉を、研修医のころから幾度となく聞いた方も多いのではないでしょうか。
しかし近年、その常識は大きく変わりつつあります。開業に必要な初期投資は1〜3億円規模に達することも珍しくなく、経営リスク・人材管理・患者集患・診療報酬改定への対応といった「医師以外の仕事」が膨大に発生します。開業しても経営が安定せず、多額の借入を抱えたまま60代を迎えるケースも、決して例外ではありません。
一方で、「開業しない」という選択にも、認識しておくべき課題があります。給与所得という単一の収入源への依存、累進課税による手取りの頭打ち、開業医と比べた場合の引退時の資産格差——これらを放置したまま60代を迎えることが、「開業しない」という選択の最大のリスクです。
つまり、「開業しない」と決めた瞬間から、それを補うための「代替戦略」を意識的に設計することが必要になります。本稿では、その設計に必要な5つの視点を具体的にお伝えします。
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まず整理する:開業医と「戦略的勤務医」の生涯資産比較
「開業しない」選択を後悔しないためには、まず「開業した場合」との現実的な比較を把握することが重要です。開業医が圧倒的に有利なわけでも、勤務医が絶対に不利なわけでもありません。それぞれのモデルで60〜65歳時点の資産を比較すると、戦略の有無が決定的な差を生むことがわかります。
【開業医 vs 勤務医:キャリアモデル別の資産・リスク比較】
※上記はモデルケースであり、個人の収入・支出・投資判断等により実際の数値は大きく異なります。開業医の「成功モデル」は、立地・診療科・経営手腕等によって大きく分かれます。
この表からわかる最も重要なポイントは、「戦略なしの勤務医」と「戦略ありの勤務医」の差です。同じ給与水準でも、法人活用・投資・節税を組み合わせることで、65歳時の金融資産は1〜2億円以上になりうる一方、何もしなければ3,000〜8,000万円にとどまる可能性があります。この差を生むのは「いくら稼ぐか」ではなく「どう設計するか」です。
「開業しない」勤務医が最初に直面するのが、給与収入の「頭打ち感」です。専門医取得・部長職・大学院・教授職とキャリアを積んでも、給与の増加幅は限られており、「これ以上増やすには当直を増やすしかない」という壁に直面します。
勤務医の収入が頭打ちになる理由と突破策
※上記の年収はあくまでも目安です。診療科・勤務地・経験年数・所属機関によって大きく異なります。
この壁を「開業すれば解決できる」と考えることは、一つの答えです。しかし同時に、「開業しなくても、収入の種類を変え・法人を使い・投資収益を加えることで壁を超えられる」ことも事実です。
特に重要なのが「所得の種類を変える」という発想です。給与所得は累進課税の直撃を受けますが、事業所得(副業・法人経由)・不動産所得・譲渡所得(投資の売却益)は、それぞれ異なる税務上の取り扱いを受けます。給与以外の収入源を意識的に設計することで、手取りの増加効率を高めることができます。
「開業しない」勤務医の最大の強みの一つが、厚生年金への加入です。この点は、開業医(特に医師国保加入者)と比べると圧倒的な優位性があるにもかかわらず、多くの勤務医が正確に理解していません。
厚生年金は「生涯にわたる安定収入」の基盤
厚生年金は、65歳以降、生涯にわたって受け取り続けることができる年金です。開業医が国民年金のみの場合、65歳からの年金収入は夫婦合算で月約13万円程度ですが、厚生年金加入の勤務医であれば月約30〜40万円程度を受け取れるケースがあります。
【厚生年金の有無による老後収入の差:勤務医 vs 開業医】
※上記は概算です。実際の年金受給額は加入期間・標準報酬月額の履歴・受給開始年齢等によって異なります。「ねんきんネット」で個別の見込み額をご確認ください。
65歳から80歳までの15年間で、厚生年金の有無による累計受給額の差は2,000〜3,000万円以上に達することがあります。この差を「開業医は引退時にクリニックを売却して補える」という反論もありますが、クリニックの売却が順調に進む保証はなく、売却益の大部分が税金で消える場合もあります。
厚生年金への加入を「当たり前のこと」として軽視せず、これを老後資産の柱の一つとして意識的に組み込むことが、「開業しない」勤務医の老後設計の基本です。
「開業しない」という選択の最大のリスクは、収入のすべてが「病院からの給与」一本に依存することです。万が一、勤務先の病院が経営難になったり、自身が病気や怪我で就労不能になったりした場合、収入は一気にゼロになります。開業医であれば、クリニックという「資産」が存在しますが、勤務医にはそれがありません。
この脆弱性を補うのが、収入の多様化です。給与以外の収入源を意識的に作ることで、「給与がなくなっても生活できる状態」に近づけることが、勤務医の資産形成における最重要テーマの一つです。
【勤務医が作れる「給与以外の収入源」一覧】
※収入額はあくまでも目安です。専門領域・経験年数・地域・活動量等により大きく異なります。
特に注目していただきたいのが「収益不動産」と「インデックス投資」の組み合わせです。不動産は毎月の安定した賃料収入(インカムゲイン)を生み、インデックス投資は長期的な資産成長(キャピタルゲイン)を生みます。この2つを組み合わせることで、「毎月の生活費をカバーしながら、資産の総量も増えていく」という理想的な構造を作ることができます。
「開業はしないが、副収入はある」——講演料・原稿料・コンサルティング料・医療機器企業の顧問料などを受け取っている勤務医にとって、プライベートカンパニー(資産管理法人)の設立は、手取りを劇的に改善する最も有効な手段の一つです。
勤務医がプライベートカンパニーを持つべき3つの理由
第一の理由は、副収入への累進課税を回避できることです。年収1,500万円の勤務医が個人で追加の100万円を稼ぐと、限界税率43%が適用され手元には57万円しか残りません。しかし法人で受け取れば、法人税率(約23%)で課税され、内部留保として積み上げることができます。
第二の理由は、家族への所得分散が可能になることです。配偶者や成人した子を法人の役員として報酬を支払うことで、世帯全体の税負担を大幅に下げることができます。これは医師本人の給与収入だけでは絶対にできない節税手法です。
第三の理由は、退職金の積み立てができることです。法人内に蓄積した資産は、将来「退職金」として受け取ることができます。退職所得控除という大きな優遇税制を活用することで、長年かけて積み上げたキャッシュを低税率で個人に移転することが可能です。
- 注意点:プライベートカンパニーの設立には、勤務先の副業規定の確認が必要です。医療行為(診療報酬)は法人に帰属させることができないため、法人の収入は非医療行為(執筆・講演・コンサルティング・不動産賃料等)に限られます。
- 注意点:実態を伴わない取引・家族への不相当な報酬は、税務調査で否認されるリスクがあります。信頼できる医師専門の税理士との連携が不可欠です。
「開業しないことで、老後はどうなるのか」——この問いに正面から答えるために、シナリオ別の損益分岐点を確認しましょう。戦略の有無によって、60歳・65歳時点の資産と年間収入は大きく変わります。
【シナリオ別:60歳時の推定資産と65歳以降の年間収入比較】
※上記はすべて概算モデルです。個人の収入・支出・投資リターン・開業医の経営成績等により実際の数値は大きく異なります。
この表からわかる最も重要な事実は、「法人活用+不動産収入」を組み合わせた勤務医モデルが、65歳以降の年間収入において「開業医(成功ケース)」に近い水準を達成できるということです。一方、「開業医(苦戦ケース)」と比較すると、戦略的勤務医の方がむしろ安定的な老後を迎えられる可能性があります。
「開業しない」という選択が「劣った選択」ではなく、戦略次第で開業医以上の老後設計が可能であることをご理解いただけたでしょうか。
「開業しない」勤務医の資産形成ロードマップ
「開業しない」と決めた勤務医が、30〜60歳にかけてどのような行動をとるべきかを、年代別に整理しました。これは一つの理想モデルであり、すべてを同時に進める必要はありません。現在の年齢と状況に合わせて、できるところから着手してください。
※目標資産額はあくまでも参考値です。ライフプラン・生活水準・家族構成によって必要額は大きく異なります。
重要なのは「完璧なプランを立ててから始める」ではなく、「今すぐできることから着手する」ことです。30代であれば、iDeCo・新NISAの設定だけでも、20〜30年後の資産に数千万円単位の差をもたらします。
今すぐ確認:「開業しない」勤務医のための資産形成チェックリスト
以下のチェックリストで、現状の対策状況を確認してください。未チェックの項目が多ければ多いほど、「手を打つことで取り戻せる手取り・資産」が多く残っているということです。
終わりに:「開業しない」という選択を輝かせるために
「開業しない」と決めることは、多くの医師にとって容易ではない選択です。
同僚が開業し、「あの先生は成功した」という話を聞くたびに、「自分の選択は正しかったのだろうか」と揺れる気持ちになることもあるかもしれません。
しかし、本稿でお伝えしてきたように、「開業しない」という選択は正しく設計すれば、開業医に劣らない——あるいはそれ以上の——経済的な安定と自由を実現できます。厚生年金という強固な老後収入の柱、雇用という安定した収入基盤、そして法人・投資・節税という設計ツールを組み合わせることで、「給与医師」の限界を超えることは十分に可能です。
大切なのは、「開業しない」という選択をした瞬間から、その選択を補完するための行動を意識的に始めることです。iDeCoの口座開設、ふるさと納税の上限確認、副業収入の法人化の検討——今日の小さな一歩が、20年後の資産形成の大きな差を生みます。
「開業しない」という選択を、後ろ向きな諦めではなく、前向きな戦略として輝かせるために。ご自身の医師人生を、ご自身の手で設計していただければ幸いです。
※本記事の内容は、作成時点の制度・規制・規約・市況などの情報を基にして作成しております。改正等により記載内容の実施・実行・対応などが行え場合がございますので予めご了承ください。最新情報に基づいた内容などについては、「ご相談・お問い合わせ」ページからご確認いただけますと幸いです。 |










